2017年06月08日

鳰(にお)の浮巣

鳰の消え浮き名の一つ残りけり   杉の子

鳰(カイツブリ)が水中に消えて本当は水輪が残るのだが、
それにかけて浮き名とした。
鳰は冬の季語。
どこの公園にでもいるあの可愛いやつである。
鳩よりやや小さく、
水中に巧みに潜って魚を獲(と)る。
水中の写真が撮れたが、
水面ではずんぐりしているのに、
水中ではまるで矢だ。
細長く体を伸ばして一直線に進む。
フィリリリなどと鳴く声は美しい。

芭蕉は

五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん

と詠んだが、
「見に行かん」と言ってもこの場合江戸にいて、
琵琶湖の浮巣を見に行くというのだから風流も極まれりだ。
もっともこの時は別に用事があってのことで、
まあ「さて近江にいくか」くらいのきもちであろう。
 
そのかわいらしい鳰が、
ある朝泉の森に行くと張ってある網に引っかかって、
がんじがらめになり、
断末魔の表情でもがいていた。
余りのむごさに公園の係員に言って外させたが、
一晩中もがいていたと見えてぐったりとなっていた。
網は魚類調査のものだというが、
池は鳰がしょっちゅう潜っている。
そこに思いが行かなかった管理者は無能としか言いようがない。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

俳句と笑い

あの子規が

山の花下より見れば花の山 

という句を作っていたかと思うとほほ笑ましい。
言葉遊びのように見えるが一度読んだら忘れない句はいい句だ。

一茶は笑いとペーソスの俳人だ。
まるでチャップリンのようである。

故郷は蠅まで人を刺しにけり

古里の冷たさをばっさりと切っている。
筆者も負けてはいない。

湯湯婆(ゆたんぽ)と書けば笑へるなあ婆さん  読売俳壇1席

は、自慢ではないが、
俳句史上に残してもらいたいユーモア句だ。

まだある

合格子上がり框で転びけり   産経俳壇入選

「合格したよ」と言ってづっこけた。

遠足やパンパかパーンと弁当開け    読売俳壇1席

パンパカパーンは横山ノックの専売特許ではない。

クソ暑い夏。

これきしはジュラ紀の冬と炎天下    読売俳壇3席

ジュラ紀は知らんが相当暑かったらしい。
頑固じじいがブツブツ言いながら炎天下を歩いている。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

一茶のリフレイン

一茶はリフレインの名手である。
ただでさえ短い俳句の中で
言葉を繰り返すのだから無駄のように見えるが、
当たるとリフレインほど訴求力のある俳句はなくなる。
一茶はかなりの確率で当てているのである。
まず人口に膾炙(かいしゃ)した句は

やれ打つな蝿が手をする足をする

雀の子そこのけそこのけお馬が通る

の二首であろう。
「する」を重ねることでハエの情景がクローズアップで見えてくる。
「そこのけ」の繰り返しは、
威張っている武士階級を茶化して見事だ。

一つ蚊のだまってしくりしくりかな

もちろん蚊は刺しますと言って刺さない。
黙って刺すが、
しくりしくりであちこち刺された様子が浮かぶ。

千の蟻一匹頭痛の蟻がいる   東京俳壇入選

庭で蟻を見ていて直感であの蟻は頭痛に違いないと思った。


鳧(けり)の子のけりつと鳴ける日暮かな   東京俳壇入選

本当に鳧は「けりっ」と鳴くのだ。
だから鳧という名が付いたに違いない。

ときめきてすぐあきらめて石鹼玉     読売俳壇1席

日の落ちてとっぷり暮れて十三夜     産経俳壇入選

リフレインではないが
「て」という助詞を二度利かせることによって
リフレイン効果とリズム感を出した。
これも一種のリフレインだろう。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月02日

秋ともし木村伊兵衛の写真集

木村伊兵衛と言えばライカだ。
ライカを使って数々の名スナップを撮影している。
とりわけ戦争直後の写真によいものが多い。
昔はライカ1台で家が買えるほどの値段であった。
戦後は安くなったがとても手が出ないと思っていたら
特派員でニューヨークに行くことになった。
ニューヨークではライカが安く
70年代のカネで2、3万円で中古のライカM2などが買えた。
新品のM4で10万円くらいだった。
M5まで使ったが、
使っている内に故障はするわ、
レンズが突然はずれて落下するわで仕事には使えないことが分かった。
それでも昭和天皇の訪米の写真を撮って、
役には立った。
 
その後カメラはデジタル化して、
一眼全盛期となったがライカはレンジファインダーのまま。
値段は高くてボディーだけで100万はする。
それでいて写る写真はニコンやキャノンより見劣りがする。
撮像素子がソニー製だから、
売りはレンズだけだが、
それもニコンの58_、F1.4など
ライカを大きく上回る描写力のレンズが出てはいよいよ存在価値が問われる。
結局プロがプロの象徴として所有するか、
銭が余ってしょうがない趣味人が所有するだけのカメラとなっている。
言ってみれば女性のルイビトンのように
ブランド性で生き延びようとしているとしか思えない。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月01日

遊びせんとや

遊びをせんとや生れけむ、
戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、
我が身さえこそ動がるれ。


平安時代末期に後白河法皇が編んだ
『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)にある有名な歌謡である。
後白河法皇は少年のころから、
今様と呼ばれる歌謡を好んだ。
歌の上手を召して多くの歌謡を知ったが、
死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、
書き留めて本にしたものだ。
 
筆者は自慢ではないが生粋の仕事人間だ。
しかし仕事をしながら常に「遊び」を考えている。
遊びがない人生などあり得ない。
その遊びは一貫して写真撮影だ。
それもカワセミ撮影が主だ。
カワセミとの瞬時の勝負が、
たまらない快感を脳にもたらす。
アドレナリンで脳がいっぱいになる。
カワセミが撮れれば、
街のスナップショットの瞬間などはわけなく切り取れる。
とりわけ狙っているのはカワセミのホバリングだ。
ホバリングの写真が一番難しい。
いつどこでやるか分からないし、
一秒の勝負だ。

翡翠(かわせみ)の遊びせんとや生まれける    杉の子
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする