2016年01月29日

ノスタルジア

最近は乳幼児を背負う母親が少なくなった。
ベビーカーか、だっこ型のベビーキャリーが流行っている。
銀座通りには最新ファッションの女性が
これまた高級ブランドのベビーカーで危険なハイヒールのまま闊歩しているが、
ノーテンキそうで子育てが大丈夫か心配だ。
電車の中ではベビーカーのブレーキをかけないままで、
危険極まりない。
いざというときはだっこよりおんぶだろうと思うがどうだろうか。
大空襲も大震災もおんぶだった。
両手が使えるし身動きが自由だ。

ねんねこの中の粉雪払わねば   毎日俳壇入選 

ねんねこは赤ん坊を背負う際に用いた防寒用の子守り半纏(ばんてん)。
なぜか夕焼けの中の五木の子守唄を思い出す。

ちなみに 「おどま 盆ぎり 盆ぎり」の「おどま」は、自分のこと。
「盆ぎり」は「盆限り」と書いて、
「ぼんぎり」と読ませるから、お盆までのこと。
「お盆が過ぎたら私は、もうここにいない」と歌っているのだ。
子守りは嫌だったのだろう。
子守り半纏の欠点は赤ん坊のクビがうしろにかっくんとなり、
座らないことだが、
最近では「クビかっくん防止型」も売られている。

わら草履はける昭和よ冬の星  東京俳壇二席

ノスタルジアは俳句になる。
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2016年01月28日

俳句と諧謔味(かいぎゃくみ)

簡単に言えば重いテーマを軽く語るというのが
芭蕉の言う「軽(かろ)み」であろう。

例えば

秋深き隣は何をする人ぞ

秋が深まり、山野が寂しい風情になってくると、
隣の物音も気になる。
今何しているのだろうかと人恋しい気持ちにもなる。

筆者は芭蕉が隣人の職業を気にしているというよりも、
親しい隣人が何をしているのだろうかと気遣っているように句意を読み取りたい。
平明な用語で全く気取っていない。

「俳諧は3尺(さんせき)の童にさせよ」と芭蕉は述べているが、
まさにその言葉を地で行っている。
この「軽み」をさらに推し進めると「諧謔味」になることが多い。

一茶は

春雨や食はれ残りの鴨(かも)が鳴く

と詠んだ。
今は鴨が池にあふれているが、
昔は見つければ捕って食べていたと考えられる。
運良く食べられなかった鴨が春雨の中で鳴いている風景を詠んだが、
みそは「食われ残り」。
なかなか言える言葉ではない。

筆者もユーモアのある句は好きだ。
玄関開けて「受かったよ」と大声を上げた子供がずっこけた。

合格子上がり框(かまち)で転びけり   産経俳壇入選
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2016年01月27日

黄昏レンズ

三夕(さんせき)の歌とは『新古今和歌集』に並ぶ
「秋の夕暮れ」を詠んだ三首の和歌をいう。
日本人なら「三夕」と聞いただけで、
そこはかとなき哀愁を感ずる名歌だ。

寂蓮(じやくれん)の

寂しさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ

西行の

心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ

藤原定家の

見渡せば花も紅葉(もみぢ)もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ

の三首。
『新古今和歌集』の代表的な名歌である。
今年も夕方の俳句に挑戦しようと思う。

鳧(けり)の子のけりつと鳴ける日暮れかな   東京俳壇入選

既に画壇には三夕どころか、
「無数の夕刻」を表現した版画家がいた。
川P巴水(はすい)だ。
別名「黄昏(たそがれ)巴水」と呼ばれたほど、
郷愁の日本の夕刻を表現し続けた。

これを筆者は写真で成し遂げようと、
「黄昏レンズ」を入手した。
ニコン58mm F1.4だ。
フラッシュなど不要の「黄昏専門レンズ」と名付けている。
これで黄昏の東京を撮って歩くつもりだ。

俳句も黄昏、写真も黄昏。
人生の黄昏時にふさわしいテーマの追求だ。

日の落ちてとっぷり暮れて十三夜    産経俳壇入選
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2016年01月26日

いのち短し

吉井勇作詞・中山晋平作曲の
《 ゴンドラの唄 》は森繁久弥が哀調があっていい。
しかし黒沢明監督の映画「生きる」のなかで、
末期がんの市役所の課長・志村喬が
公園でブランコに乗って歌った姿も印象的だった。

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを


今は胃がんくらいでは早期発見すれば滅多に死なないが、
戦争直後までは死に至る病だった。
だから往年の名画のなかで「明日の月日はないものを」が利いてくる。
今公園に行くと老夫婦の散歩ばかりが目立つ。
皆仲睦まじい感じだ。
朝の散歩だから“訳あり”の散歩はまずない。

冬麗の二人ここには誰も来ぬ   産経俳壇入選

という感じの散歩を1度はしてみたいものだ。
しかし怖くて出来ない。
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2016年01月22日

駄句の山にはダイヤが光る

「子規は自分の俳句をおろそかにしなかった。
『金持ちは一銭でも無駄にしない』と言ってね。
どんな句でも捨てないで書きとめていましたよ」。
子規の高弟・高浜虚子の言葉である。

子規がいかに自らが生み出す俳句のすべてを
愛(いつく)しんでいたかを物語る。
確かにそうだ。
拙句もその名の通りつたないものがほとんどだ。

しかし、パソコンには駄句が「俳句命」のフォルダーに
山ほども蓄えてある。
新聞に採用されなくても一年後には作り直して投句するのだ。

恐ろしき昭和を見たり昼寝覚(ひるねざめ)   朝日俳壇1席

は当初

恐ろしき昭和を見たり明易し

だった。
明け方の夢を詠もうとしたのだ。

しかし昔日の日本兵がテレビで
「昼寝をしてもビルマのジャングルの夢を見る」と述べていたのを聞いて、
打座即刻に「昼寝覚」とした。
駄句がダイヤモンドに変わった瞬間である。

恐らく子規も書き留めておいた句を、
時々引っ張り出して推敲していたに違いない。
今はパソコンにしまっておけば、
「検索一発」で昔の駄句が出てくる。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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