2016年10月27日

俳句の擬人化

小隼一直線なり一途なり   産経俳壇一席
 
擬人法とは、
植物や動物や自然などを人に見立てて表現することだ。
例えば、鳥が笑う、花が泣く、などといったもの。
初心者のうちはついつい使いたがるが、
陳腐の極みであることに早く気付いた方がいい。
駄句のことを月並み句というが、
まずその部類に落ちいてしまう。
掲句は小隼(ハヤブサ)が一途だと言っているが、
擬人法を使っているから、
悪い句であるとは一概には言えない例として挙げた。
擬人法は難易度が高く、
成功するとしびれる句になる。

短歌で例を挙げるなら

金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いちょう)散るなり夕日の丘に
与謝野晶子


見事に擬人法が成功している。
もっとも擬人と言うより「擬鳥」か。

海に出て木枯(こがらし)帰るところなし    山口誓子

は木枯らしが帰るところがないと言っているが、
これは特攻隊で散った若者を暗喩(あんゆ)で表現しているのだ。
初心者はまず写生から始めるのが無難だ。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月26日

俳壇

コップより升に落ちたる新酒かな   杉の子
 
「おっとっとっと」と酒飲みが喜ぶのは
コップから升にあふれるつぎ方である。
銀座の焼き鳥屋では升がなくて、
銀のやかんで表面張力でコップがあふれるすれすれまで注ぐ。
客は口から先にコップに近づく。
新酒は新米で醸造した酒で秋の季語。
傍題に今年酒がある。
新酒はうまい。
20年前に胆石をとって六腑が五腑になったがやめられぬ。

一つ欠き五臓と五腑にしむ新酒   杉の子

友ら皆白髪か禿げよ新酒汲む   読売俳壇入選

鷹羽狩行の句に

とつくんのあととくとくとくと今年酒

オノマトベが見事に季語と響き合っている。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月25日

反戦は時事句でなくなった

ちよい悪で反戦爺で酢橘かな  月刊俳句入選

60年安保の時は慶応大学に入学したばかりであった。
従って安保闘争で校旗である三色旗が
銀座の大通りに初めて翻ったときにもデモで参加していた。

「慶応ボーイまでがデモ」と新聞は報じた。
国会へのデモは暴徒化したから参加せず、
現場を見に行った。
東大の学生であった樺美智子が、
警官隊とデモ隊に挟まれて死亡したその日である。
革命前夜のようだったが、
死亡事故を機に、
それまで煽っていた新聞が急旋回してデモは引き潮のように下火になった。

その安保世代が古希を過ぎたのだから、
「やになっちゃう」。
安保世代は生粋の反戦だが、
その後にぐれまくって暴徒化した全共闘運動とは一線を画する。
正義感が強く、常識派だ。
戦争は反対の爺さんたちだ。
だから

反戦で神田の生まれ唐辛子   産経俳壇1席

のような爺さんも友達に多い。
その前の戦争で命の危険にさらされた官房長官・後藤田正晴のような世代は、
根っからの反戦派であるが、
いまや生きていれば古希どころか生身魂の世代だ。

反戦で張りのある声生身魂     朝日俳壇1席

とこれも、
反戦を語らせれば元気がいい。
時事句は新聞選者が一番嫌う俳句だが、
「反戦」を織り込んでもいまや時事句とはならない時代となった。
時の流れであろう。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

日常の中の闇

葱刻む平穏いまだ続きをり   毎日俳壇1席
 
我々は日常の中に非日常がいつ起きるか分からない世に生を得ている。
事故とは限らない、
人間と人間が接触してどのような摩擦が発生するのか、
自然がもたらす災害がいつ来るのか。
どのような危機に遭遇するのか。
年を取れば取るほど、
良くこの人生をすり抜けてこられたと思う毎日である。

「葱刻む平穏は」はそのことを指す。
そしていまだに続くことを安堵しているのだが、
その背景にはきっと何かが起きるという予感が常に存在するのだ。

中村汀女の

あはれ子の夜寒の床の引けば寄る

は、母と子の間にあふれ出る感情の高まりを描写して見事である。
秋の夜寒に末っ子の寝る姿に憐憫を感じて布団を思わず引き寄せる。
そして布団の軽さ、
子の軽さを改めて知りその不憫さは一層募る。
平穏の中にあるこの子の人生の起伏を思うと抱きしめたくなる。

人間は日常の中に存在する暗黒を常に予感するのだ。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月20日

俳談

豊作や山野豊かに稲光   NHK俳壇入選
 
稲光はの傍題。
稲妻は稻の夫(つま)の意味で、
稻が雷光と交わって実るとの言い伝えから生まれた。
掲句はそれを意識して作った。

まず豊作と置いて実りの秋を強調し、続く中、
下の句で稲光が山野にいっぱい生じている様を詠んだ。
気をつけねばならないのは雷(かみなり)は夏の季語で、
稲妻とは全く性格を異にするということである。
稲妻は鑑賞の対象になる。
現に、「稲妻観賞会」をする粋人を知っている。
秋になって海と空が雷雲に覆われ、
真っ暗になった頃。
冷たい缶ビールと枝豆なんぞを用意し、
部屋の灯りを消し、
準備万端で待機するのだ。
今日の稲妻は60点などと点をつける。

ワシントンにいたころ、
マンションの高層の部屋から、
バージニアの大平原に走った集中爆撃のような
稲妻の光景は忘れられぬ。
一方雷の方は、慌ただしくてそのゆとりはない。
中村汀女も稲妻を楽しんでいたのであろう。

稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ    中村汀女

がある。
橋本多佳子の句は名句中の名句だ。

いなびかり北よりすれば北を見る   橋本多佳子

ごく当たり前のことを言いながら稲光の本旨を貫いている。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする