2016年11月30日

秋の風

秋風や途切れ途切れの子守歌    毎日俳壇3席

初嵐に比べると同じ秋の季語でも
「秋風」はしみじみとした寂しさを伴う。
景色としては夕焼けやシルエットが似合う。
歌で言えば「島原地方の子守歌」だ。

この子守歌は意味が分かりにくいが調べてみると、
貧しいがゆえに異国へ売られていった娘たち、
「からゆきさん」の悲しみ、哀れさを歌ったもののようだ。

倍賞千恵子の歌が一番哀感にあふれている。
1番の意味は「私は島原の 私は島原の梨の木のある家で育った」。
2番は「帰りには寄ってもらえませんか 
帰りには寄ってもらえませんか 
あばら家ですけど 
黄金色したご飯ですよ」。
3番は意味が分かって、
ここが一番冒頭の掲句に似合う。

沖の不知火(しらぬい) 沖の不知火
消えては燃えるヨ
バテレン祭の バテレン祭の
笛や太鼓も 鳴りやんだ
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ

ソファーに父の窪みや秋の風   東京俳壇入選
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月29日

今年米

さくさくと研ぎて零さず今年米   月刊俳句入選

「ご飯は一粒も残さず食べること。
お百姓さんの苦労を思いなさい」は
日本人に代々受け継がれた家訓だ。
だから家庭の主婦は米を研ぐとき一粒もこぼさない。

近ごろは無洗米といってあらかじめぬかが除いてある米がある。
これをけしからんというのは年寄りの戯言である。
時代時代の食べ方があってよいが、
研いだ後一定時間をおいて炊いたものが一番うまい事は確かだ。

戦争直後は「竹の子生活」といって、
着物と交換して米や野菜を確保した。
タンスがだんだん空になっていったものだ。
しかし昭和の女性は強かった。
「着物は生きていればいつでも買える」と母はどんどん売った。
1〜2年間続いただろうか。
何しろ食べ盛りの子供が6人もいたから大変だ。
子供心にやるせなかった。
そういう家庭で育つと子供は人の気持ちが分かる子に育つ。

今年米母の着物で食べしこと  杉の子

といつまでたっても忘れない。
米どころ新潟では中稲(なかて)種が9月20日頃ピークを迎え、
晩稲(おくて)種は10月いっぱいで出荷が終わる。
新米は水をやや少なめに炊くとうまく炊きあがる。

新米の酒田は早しもがみ河   蕪村
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

入院しても俳句

看護婦のメモを手に書く秋ともし  毎日俳談入選

20年ほど前胆石で入院したが、
楽しみは何と言っても若い看護婦がきびきび動く姿を見ることだ。
廊下を歩いていても「どうしたの。元気ないみたい」と声をかけてくれる。
若い人類から見放されたかと思いはじめた年齢だけに、
入院生活が楽しくなった。
若い女性は病人に生命力や命の源を与えるオーラを持っている。
東京近辺で美人で気立てのいい看護婦がいっぱいいる病院はどこだろう。
ウェブで探すと「美人が多くて有名な病院は、
離職率が高くて新卒ナースばっかりだ」と書いてあった。
慶応病院か聖路加か。
幸いにも健康に恵まれているが、
病気になったときは医者なんかより、看護婦優先だ。
今のうちに病院を探しておくことにする。(*^▽^*)

正月の看護婦薄き紅つけて   杉の子
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月19日

ごとく俳句

暮の秋ルオーの顔のごとく行く  朝日俳壇入選
 
直喩法とは物事を「〜のごとく」と直接的に比較してに表現することを言う。
これに対して隠喩法とは白髪を「頭に霜を置く」と
表現するなど間接的に表現をする。
俳句や短歌では圧倒的に直喩法が多い。

金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いちょう)散るなり夕日の丘に  与謝野晶子

は「ごとく」ではなく「かたちして」と珍しい直喩表現をしている。

川端茅舎は「如く俳句」の名手と言われた。
その代表句が

一枚の餅のごとくに雪残る

である。
解け残った雪をこのように見事な直喩で表現した例はない。
筆者も「ごとく俳句」をよく作る。

春愁の街を用ある如くゆく   毎日俳談入選

鬼やんま巡視の如く戻るかな   産経俳壇入選

といった具合である。
NHKの写真俳句にも入選した。

翡翠の阿修羅の如く狩りにけり
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月17日

秋の蝉

法師蟬ちよつと寄つたと子の来たる  杉の子
 
蝉取りの醍醐味はなんといってもツクツクボウシ、法師蟬だ。
アブラゼミやクマゼミなどはすぐに採れるが、
ツクツクボウシだけはあっという間に逃げてしまうから、
採った子は一目置かれる。

筆者は子供のころ
透明な小魚捕りの網を工夫して何匹でも採れる捕虫網を作った。
採っては、かよちゃんに献上したものだ。
掲句は「ちょっと寄った」で法師蟬の感じを出した。
 
秋の蝉は蜩(ヒグラシ)と法師蟬だ。
秋の季語でもある。
ヒグラシは哀感があるが法師蟬は対照的に明るい。
しかしアブラゼミのように暑苦しくはない。
遠くで聞くとやはり哀感がある。

川端茅舎の句に

まだ微熱続く法師もう黙れ

がある。
たしかに熱があるときにすぐ側で鳴かれてはたまらん。
今朝野鳥の撮影に出かけた沼のすぐそばで法師蟬が鳴いた。
二メートルと離れていない橋の欄干だ。
慌てて望遠レンズを向けたら一枚だけ撮らせてくれた。
やや緑がかった小さな体に、
透きとおった羽。
子供の時にわくわくした姿がそこにあった。

ツクツクボーシツクツクボーシバカリナリ  正岡子規
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする