2017年01月31日

二物衝撃の句

二つの要素・句材をあわせて作る句を「取り合わせの句」と言う。

全然別々な事柄を合わせることにより、
ある種の「響き」を生じさせるのだ。
二物衝撃の句とも言う。
初心者のうちは難しく、
全然響き合わない場合が多い。
次の句は二物衝撃句の典型だ。

夕花野亡き子を探すごとく佇つ 産経俳壇入選

「夕花野」で読者を美しい風景に誘って、
中七からどんでん返しをしてみせる。
「亡き子を探す」で読者をどきりとさせて、
秋の夕方の花野の寂しさを際立たせるのだ。

反戦で神田の生まれ唐辛子   産経俳壇1席

掲句も「神田の生まれ」のあとに唐辛子と続け、
異質のものどうしで全体として
「ぴりっと辛い江戸っ子」の風景を醸し出している。

蝸牛(かたつむり)駆け込み寺を守るなり   毎日俳談2席

は、蝸牛が寺を守るという意外性で成り立つ。
異質なものの取り合わせで成功したケースだ。

取り合わせの名句は西東三鬼の

露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す

であろう。
妻をなくした隣家のロシア人が異様な叫びと共に
手当り次第にザクロをたたき落していたのを描写した。
その異様さと訴求力において右に出るものは無い。
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2017年01月25日

俳句は一点豪華主義

俳句は色々言い過ぎないことが肝心だ。
初心者は17文字のうちで2つも3つも言おうと欲張るが、
それ故に失敗する。
一点豪華主義で行きたい。
悪句を挙げれば<苔むせる御堂の階段緑濃し>だ。
苔むしているのだから緑濃しなどとは言う必要は無い。

蜆汁目玉映して啜るかな   毎日俳談3席

うまい蜆汁を一生懸命啜っている姿をひたすら描いた。
余計なことは一切言っていない。

どんど焼き火の針となる松葉かな   東京俳壇1席

松葉が火の針になることだけに集中している。

孑孑(ぼうふら)を食べる仕事の金魚かな    読売俳壇3席

拙宅の場合金魚を庭の鉢で飼っているのは
孑孑を食べてもらうためだけであり、
そのことだけを「食べる仕事」と表現して強調した。
このように一点豪華主義の俳句は2つ以上の事象を取り合わせる
「取り合わせの句」に対して「一物仕立ての句」というケースが多い。
一つのテーマで言い切ってしまうのだ。
最近の句界の風潮は一物仕立てで言い切るのが流行っている。

団栗の己が落葉に埋れけり    渡辺水巴
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2017年01月24日

市を詠む

句会で写楽顔がありふれているとけなされた俳句を、
新聞に投句したら入選した。

ぬぬぬぬと写楽顔出るべつたら市   日経俳談入選

である。
句会の「先生」なるものは全くいいかげんなものだ。
俳句を作るには、
各地で立つ市ほど材料が豊富なものは無い。
東京には市が多い。
べつたら市は10月19日と20日だから終わったが、
これからは世田谷ぼろ市、年の市、羽子板市などと続く。
季語の天国でもあるし、
実際に現場を踏むと材料には事欠かない。
俳句は現場ですぐ造る場合と、
熟成させて造る場合があるが、
私は熟成させるケースの方が圧倒的に多い。

亡き父をべつたら市で見かけしが   産経俳壇入選

は、父親そっくりの年寄りの後ろ姿を見かけて造った。
はっとしたものは熟成して後で俳句になるのだ。
 
世田谷のぼろ市も面白い。
12月と1月の2回開かれる。

ぼろ市や本物らしき物のあり   杉の子

と言った具合だ。

有馬朗人は、学者の心境であろうか

世に合わぬ歯車一つ襤褸(ぼろ)市に

と詠んでいる。

12月の半ばから大晦日にかけて
各地の社寺で開かれる年の市も風情がある。
暮れの寂しさのようなものを詠むと成功する。

年の市街の孤独を拾ひたり   杉の子

新潟の朝市で情景そのままを詠んだ。


釣銭の凍り付きたる朝の市   杉の子
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2017年01月22日

働く姿

人間の一番美しい姿は何と言っても働く姿だろう。
写真でも女性のポートレートも美しいが、
作業服姿のおばさんや漁師が網を引く姿により一層引かれる。
これを俳句にしない手はない。
新聞俳壇のよいところは、
各種各様の職業の人から投句があり、
その仕事の様が分かる事であろう。
例えば朝日俳壇には山間僻地の人からの

人と水こころかよはせ紙を漉く  

といった俳句が採用される。
紙を漉くは冬の季語だ。
 
昔、近所の工場で冬は早朝の操業開始前に、
ブリキ缶に木っ端を突っ込んで焚火をするのが恒例であった。
雑談をしながら焚火に当たって体を温める。
そうすると、体全体がやわらかくなり、
不慮の事故を起こさないのだという。
その焚火からまず工場長が離れるのだ。
やがて部下たちも三々五々焚火を離れる。
一日の労働の始まりだ。
次の句はその場面をとらえて作ったものだ。

焚火より工場長のまず離る    産経俳壇入選

早朝の新潟行きの羽越本線で魚を
大きな缶にいれたおばちゃん軍団と乗り合わせた。
これを担いで新潟市内を一日売り回るのだという。
重労働だが、元気いっぱいであった。
しかし早朝とあって、
やはり眠いと見えてやがて皆仮眠を取り始めた。
そこで一句。

行商の眠る吹雪の車中かな   東京俳壇入選

冬山に登ったとき、
電気工事の架線工が鉄塔に登っているのが見えた。

架線工豆粒になる寒夕焼    杉の子

攻め炊きの窯の脇なる西瓜かな   杉の子

作句のこつは人間の姿を肯定的にとらえ、
単なる描写を避け、
感情と共感を入れて作ることだ。
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2017年01月19日

柿食えば

うめ婆の柿は黙って取ってよし  毎日俳談2席

戦後の甘味料の乏しい時代に育った子供は、
柿の季節の到来をころや遅しと待っていたものだ。
熟す前から竹竿で狙いを付けた柿を落とす。
よその家の柿だから見つかると「こらー」と怒鳴られる。
それでもうめ婆さんの柿だけは、
いつ行って取っても怒られない。
「そうかいそうかい」とにこやかに頷いているだけだ。
それに比べて近ごろは柿を取るいたずら坊主など全く見られない。
どこの家も実をつけっぱなしだ。
熟して落ちるまで見放されている柿もある。
もう一つ取られなくなったものにコイがある。
まるまると太って大きくなって我が物顔で川にいる。
昔だったらあっという間にとられて、
こいこくにされたものだ。
柿はうまい。
柿を食べると日本の秋を感ずる。
しかしその柿も最近では

思ひ出すやうに柿買う独りかな   産経俳壇入選

という感じになってしまった。
柿を食らうと子規を思い出す。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

日本人で知らぬ者のいない名句だ。
だから作った句は

柿食らひこの日を子規の日と思ふ  杉の子
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