2017年04月21日

俳談

寒雀餌やる母のいまは亡し  杉の子
 
野鳥撮影が趣味なのが読売新聞グループ本社主筆の渡辺恒雄さんだ。
普段から骨太の言論人としてもっとも尊敬すべき人と思っている。
政府の情報保全諮問会議の座長として活躍した。
秘密保護法をめぐっては
戦前の治安維持法と言わんばかりの朝日の風評垂れ流しに、
読売が毅然(きぜん)とした論調を張って、
世論の正確なる誘導に努めた。
諮問会議は政府が独走するのを外部から目を光らせる役目だった。
 
そのナベツネさんは庭に鳥の餌台を作って
超望遠レンズで撮影するそうだ。
超望遠レンズを駆使した野鳥撮影は
一種の狩りのような爽快感を覚える。
日日の仕事のストレス解消にはもってこいだ。
 
だいいち狩猟のように生命を遊びで殺傷しないのがよい。
ナベツネさんにカワセミ撮影を教えたら、
確実にはまる。
しかし年も年だし底なし沼に落ちないように、
庭に来る野鳥で我慢してもらった方がよい。
筆者の庭の餌台にも雀はもちろん、
メジロ、シジュウカラ、ツグミ、ハト、ムクドリ、ヒヨドリなどが
ひっきりなしに来る。
近頃はオウムまでやってくる。
カワセミ撮影に行かないときはもっぱらこれらの鳥を撮っている。

群れ雀寒夕焼を追ふごとく   杉の子
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月20日

読者に分かるか

春眠に続ける狸寝入りかな  NHK俳壇入選
 
NHK俳壇は応募者数が極端に多いこともあって、
入選は宝くじに当たるより難しい。
掲句は初めて入選した句だが、
炬燵で寝ていたら家人の話が佳境に入っているので、
目覚めぬ振りをして聞いている場面を描写した。
 
問題はこの情景を読者が理解するかどうかだ。
家族が集まった茶の間の風景と分かれば成功だが、
分からなければ失敗だ。
俳句は短い単語を並べて情景を描写する世界最短の詩だ。
したがってこの表現で読者が理解するかどうかの戦いでもある。
ところがNHKの選者は
「茶の間の炬燵で寝ているところでしょう」と述べていた。
見事に分析してくれたのである。
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

人間の疎外

人間が作ったものが人間から離れ、
逆に人間を支配するような疎遠な力として現れることや、
人間があるべき自己の本質を失う状態を人間の疎外と言う。
戦後に一時流行った思想だ。
年配の人は学生時代にマルクス主義とからめて
新宿の喫茶店あたりで議論したケースも多いだろう。
 
疎外と言うほど大げさではないが、
現代社会にも通ずる要素があり、
これも俳句のネタになる。
例えば

外套を着れば巷の人の顔    日経俳壇入選

外套を着て外に出れば、
人間らしさを喪失する外の世界の厳しさがある。
ちなみに作句に当たっては古い用語が一句を引き立てる。
外套だから俳句になるのであってコートでは様にならない。

マスクして表情消して街の人   杉の子
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

俳句と諧謔味(かいぎゃくみ)

簡単に言えば重いテーマを軽く語るというのが
芭蕉の言う「軽(かろ)み」であろう。

例えば

秋深き隣は何をする人ぞ

秋が深まり、山野が寂しい風情になってくると、
隣の物音も気になる。
今何しているのだろうかと人恋しい気持ちにもなる。

筆者は芭蕉が隣人の職業を気にしているというよりも、
親しい隣人が何をしているのだろうかと
気遣っているように句意を読み取りたい。
平明な用語で全く気取っていない。
「俳諧は3尺(さんせき)の童にさせよ」と芭蕉は述べているが、
まさにその言葉を地で行っている。

この「軽み」をさらに推し進めると「諧謔味」になることが多い。

一茶は

春雨や食はれ残りの鴨(かも)が鳴く

と詠んだ。
今は鴨が池にあふれているが、
昔は見つければ捕って食べていたと考えられる。
運良く食べられなかった鴨が春雨の中で鳴いている風景を詠んだが、
みそは「食われ残り」。
なかなか言える言葉ではない。

筆者もユーモアのある句は好きだ。
玄関開けて「受かったよ」と大声を上げた子供がずっこけた。

合格子(ごうかくし)上がり框(かまち)でずつこける   杉の子

雑草の中で高さ20〜30センチくらいのスカンポが
ニョキニョキと立ち上がっているのが面白いと感じて

すかんぽのぽつぽつぽつの余生かな   杉の子
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

俳談

吉井勇作詞・中山晋平作曲の
《 ゴンドラの唄 》は森繁久弥が哀調があっていい。
しかし黒沢明監督の映画「生きる」のなかで、
末期がんの市役所の課長・志村喬が
公園でブランコに乗って歌った姿も印象的だった。

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを


今は胃がんくらいでは早期発見すれば滅多に死なないが、
戦争直後までは死に至る病だった。
だから往年の名画のなかで
「明日の月日はないものを」が利いてくる。
今公園に行くと老夫婦の散歩ばかりが目立つ。
皆仲睦まじい感じだ。
朝の散歩だから“訳あり”の散歩はまずない。

冬麗の二人ここには誰も来ぬ   産経俳壇入選

という感じの散歩を1度はしてみたいものだ。
しかし怖くて出来ない。 
posted by 蕪村顕彰俳句大学 at 00:00| Comment(0) | 俳壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする