2017年05月12日

俳談

潮蒼し一直線に刺羽落つ  毎日俳壇入選
 
大鷹、刺羽、隼など鷹類は冬の季語。
大鷹は神奈川県でもよく見られ、
先日は公園の池で鴨を襲ったが、失敗した。
カメラを向けたが余りに動きが速く、
焦点が合うに至らなかった。
このチャンスがあるから野鳥撮影はやめられなくなる。
難易度が高いほどやる気が出る。
生涯で一番美しい光景と思ったのは、
歌で名高い北のはずれ龍飛崎での刺羽の急降下であった。
雄大な海峡でアジを捕ろうと何度も海の飛び込んでいた。
刺羽でも狩りの確率は高くないとみた。
 
むかし政治家の選挙区で鷹狩りを見せてもらった。
鷹の目は鋭かったが、
老いた鷹匠の鋭い目が忘れられなかった

鷹匠の鷹の眼をして老ひにけり 東京俳壇1席
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2017年05月11日

聞き慣れぬ言葉

俳句は言葉をいかに操るかの芸術である。
語彙(ごい)は豊富なほどよい。
そして語彙の片隅にあるのがオノマトペだ。
フランス語の「onomatopée(オノマトペ)」を
日本語発音にしたもので擬声語のことだ。
北風に戸が「がたぴし」と鳴るの、
「がたぴし」がそれだ。
このオノマトペは俳人が好んで一句に取り入れる。

一茶が

むまそうな(うまそうな)雪がふうはりふうはりと

と詠めば、飯田蛇笏は

をりとりてはらりと重きすすきかな

と希代の名句を詠んだ。

娘が妊娠していたころおなかの胎児がけったときの様子を
「つつんと蹴った」と表現した。
これは頂きとばかりに

今朝の春娘の胎児つつんと蹴る   産経俳壇一席

をものにした。
新語のオノマトペである。
俳人は必ずオノマトペの名句を一つや二つは作っている。
オノマトペ辞典は俳句を志す者に不可欠である。
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2017年05月10日

忙しいと遊びが楽しい

老の過ごし方は「忙しいと楽しい」の原則を守ることだ。
それはどういうことかと言えば、
必死になって何か“仕事”をすれば、
その最中に「明日あれして遊ぼ、
これして遊ぼ」という思いがめぐるということだ。
筆者の場合深夜の原稿書きが自らに課した仕事で、
きつい時には、その最中に「遊び」を脳裏に浮かべて、
自らを慰める。
だから人生には遊びが欠かせないのだ。
人間「遊びせんとや生まれける」なのだ。 
 
筆者の場合、
遊びとは30年やっている超望遠カメラでの野鳥撮影だ。
とりわけ近ごろは、
カメラが進歩して1秒に12枚撮影が可能だ。
飛んでいる野鳥を撮影できる。
野鳥にレンズの焦点が合うと食いついて離さないのだ。
接近しようと離れていこうと焦点が合い続けるのだ。
飛ぶ鳥を見事に“射止めた”時ほど、スカッとすることはない。

トレーラー降りしは女黄鶺鴒(きせきれい)  俳句朝日入選

翡翠(かわせみ)の写真を撮っていたら、
公園工事のトレーラーの運転席から
Gパン姿の目の覚めるような美女が降りてきた。
カメラを向ける勇気はなかったが、
びっくりして一句作った。
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2017年05月09日

孤独を詠む

囀(さえずり)を聴きて一人と気付くかな  毎日俳壇入選

孤独を詠むのは老人の特権だ。
老人というのは時間が余る。
時間が余るから孤独を感ずるひまがある。

筆者のように自分で勝手に仕事を作って、
勝手に忙しがっている「後期高齢者」はまれだろう。
その急がしがっている筆者ですら孤独を感ずるのだから、
フツーの老人はもっと孤独だろう。
そして孤独と気付くときはどんなときかと言えば、
様々なる事象を共感する人がいないと気付いたときであろう。
女房が留守で「小鳥が鳴いてるよ」と伝える相手がいないときだ。
そして、せっかく孤独感が生じたのだから
俳句にしなければ損だとばかりに俳句にする。
転んでもただ起きないのが孤独な俳句老人なのだ。

烏瓜見つけ一人と気付きたり   産経俳壇入選

何でも一人と気付いてしまうのだ。
そして俳句にしてしまうのだ。
だから孤独はありがたい。
材料をくれるからだ。

孤独を詠んだ名句は尾崎放哉の

こんなよい月をひとりで見て寝る

せきをしてもひとり

ころりと横になる今日が終って居る

いずれも深い孤独を詠んで秀逸だ。 
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2017年04月30日

俳句と政治家

政治家の俳人で本物は大野伴睦と藤波孝生だろう。
俳号「万木」の大野が保守合同の立役者三木武吉を詠んだ句が

三木武吉涼しく痩せて眉太し  万木


人物描写の句は珍しいが、秀逸である。
「涼しく痩せて」はなかなか言えるものではない。
 
政治家には運不運がつきものだが、
中曽根康弘と死んだ藤波孝生ほど際だつものはない。
藤波の俳号は孝堂(こうどう)。
両人とも俳句をやるがその作に如実に現れている。

暮れてなお命の限り蝉時雨    康弘

控えめに生くる幸せ根深汁    孝堂
 
中曽根は首相になって藤波は官房長官にとどまったが、
ライフスタイルが天と地の開きがあった。
 
俳句の通りに中曽根は日がとっぷり暮れたのにもかかわらず、
あちこちでうるさく鳴き続けた。
まさに「生き強い」人間の典型である。
しかし俳句の方は中曽根の創作ではあるまい。
芭蕉の

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

のパロディーと言ってよい。
プロならその類想性をすぐに看破する。
それでも中曽根は

したたかと言われて久し栗をむく

だそうだ。
藤波は中曽根の俳句をよくチェックして修正していた。

一方、藤波はリクルート事件の波をもろにかぶった。
一部に総理大臣候補だとされていたと言うが、
盟友竹下登のリップサービスが作った虚像の色彩が濃い。
本人はその意欲もなく、
能力もあったかどうかは疑わしい。
控えめに生きて中曽根の補佐をするのが幸せな部類の政治家であった。
しかし俳句だけは政界では大野と並ぶ一流だろう。
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