2017年04月08日

駄句の山にはダイヤが光る

「子規は自分の俳句をおろそかにしなかった。
『金持ちは一銭でも無駄にしない』と言ってね。
どんな句でも捨てないで書きとめていましたよ」。
子規の高弟・高浜虚子の言葉である。

子規がいかに自らが生み出す俳句のすべてを
愛(いつく)しんでいたかを物語る。
確かにそうだ。
拙句もその名の通りつたないものがほとんどだ。
しかし、パソコンには駄句が
「俳句命」のフォルダーに山ほども蓄えてある。
新聞に採用されなくても一年後には作り直して投句するのだ。

恐ろしき昭和を見たり昼寝覚(ひるねざめ)  朝日俳壇1席

は当初

恐ろしき昭和を見たり明易し

だった。
明け方の夢を詠もうとしたのだ。
しかし昔日の日本兵がテレビで
「昼寝をしてもビルマのジャングルの夢を見る」と述べていたのを聞いて、
打座即刻に「昼寝覚」とした。
駄句がダイヤモンドに変わった瞬間である。
 
恐らく子規も書き留めておいた句を、
時々引っ張り出して推敲していたに違いない。
今はパソコンにしまっておけば、
「検索一発」で昔の駄句が出てくる。 
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2017年03月24日

愛用の品を詠む

身の回りを見渡してみよう。
必ず愛用の品があるはずだ。

ペリカンとライカの古し秋灯下   毎日俳談入選

ドイツ製品は日本製と共に信頼感がおける品が多い。
その代表がカメラのライカと万年筆のペリカンだ。
ライカはかつて一世を風靡(ふうび)した。
木村伊兵衛はライカに標準レンズをつけて珠玉の写真を撮った。
ペリカンは長い間放置しておいてもキャップを外した瞬間から滑らかに書ける。
ライカはレンジファインダーだが、
今ではレンジファインダーは時代遅れ。
値段ばかり高くて、内容が伴わない。
しかし、こうした名品が古くなって秋灯下で磨いていると、
なぜか心が安らぐ。

庄内竿ちぬのしなりを見せにけり   産経俳壇1席

釣り好きの父親が愛用したのは庄内竿だ。
山形県庄内地方では伝統的に磯釣りが楽しまれており、
庄内藩も釣りを武門の嗜みとして奨励した。
武士たちは竿に凝って
「名竿は名刀より得難し、子孫はこれを粗末に取り扱うべからず」
といった遺訓が残されているほどだ。
魚がかかると独特の震えとしなりで獲物が何であるかを知らせてくれるという。

いまや目になりしルーペや冬日和   東京俳壇入選

丸眼鏡かけて昭和の夜なべかな   毎日俳壇1席

愛用の品を一句に詠み込むのは楽しい。
こつは物そのものを詠まずに生活と関連づけることだ。
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2017年03月23日

日日の生活を詠む

定年で退職すれば悠々自適の生活が待っているかと思えば、
筆者の場合、
自らに課した政治評論と俳談で毎日5千字の原稿書きで超多忙だ。

マスコミ関係者ならその苦労は分かるが、
好きでやっているからしょうがない。
かれこれ10年になる。ただ働きどころか、
新聞代などで月2万円の持ち出しだ。
友達からは「よくやるよ」と言われるが、
正しい評論は信念だから仕方がない。
書き上げると爽快感があるからやっている。しかし

鴨来しと聞けば見に行く暮しかな  産経俳壇入選

にはほど遠い。
拙者も「野鳥撮影命」の人だから、
時間を割いて近くの森に通う。
昨日撮ったのがアオサギの飛翔の写真だ。
秒12枚の連射でバリバリと撮る。
日常生活を詠む俳句は気負いが要らなくてよい。
そのままを素直に詠めば結構新聞が採ってくれる。

玉葱に涙などして暮らしゐる   産経俳壇1席

といった具合だ。

葱刻む平穏いまだ続きをり   毎日俳壇1席

こんなに平穏でいいのかと思って作ったが、
やはりその平穏は続かなかった。
人生波瀾万丈である。

青梅(あおうめ)の丸薬ほどを見に庭に   産経俳壇1席

もうじき梅の木に梅の実がなる。
掲句は「丸薬ほどを」の措辞を見つけたのが成功した。
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2017年03月22日

語彙を蓄える

俳句の根幹は言うまでもなく言葉である。
言葉の善し悪し、その用い方で一句の良否が決まる。
語彙が豊富なほど多様な表現が可能となる。

語彙を豊富にするにはどうするか。
言葉を貯金することである。
貯金するためには稼がなければならないが、いかに稼ぐか。
丹念にメモすることである。
それも俳句モードでメモする。
思いついた言葉や、
テレビドラマでも詩歌でも歌謡曲でも
目に見え耳に聞くものすべてをメモする。
そして新しい言葉を発見することである。

この貯金した言葉を時々見ているといろいろな想像が湧いてくる。
例えば「四角のビル」という、
人間の疎外のような言葉をテレビの哲学講座で蓄えたとする。

爽やかや四角のビルより退職す   東京俳壇1席

という形になる。

「嵌め殺し窓」を貯金したとしよう。
おりから梅雨の入りの走り梅雨である。
空想をふくらます。
そんなときテレビにお寺が映った。

禅寺の嵌め殺し窓走り梅雨

となる。

「初夏を吐く」という詩的な言葉を思いついた。
大事に熟成して

初夏を吐く浅蜊蛤海坊主

「楽剃り」。
信仰心からでなく軽い気持ちで剃髪することである。

楽剃りのご隠居目立つ夏祭り

と言った具合だ。
言葉を大切に貯金して、
これをいつか取り出そう。
ただ言葉の発見は新鮮でないといけない。
手垢のついたことばなどいくら貯金しても無駄だ。

例えば「カンナ燃ゆ」。
カンナは常に燃えている。
これを詩的と思うようでは俳句を辞めた方がいい。
詩の世界ではむしろカンナは凍らせた方が新鮮だ。
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2017年03月15日

歌枕を詠む

古歌に読み込まれた諸国の名所を歌枕と言うが、
それ故に俳句に地名を読み込むときには注意が必要である。
なぜなら、地名の持つ余韻がその俳句に規範として働くからである。

芭蕉は俳句に歌枕を入れることについて
「名所の句のみ雑の句にもありたし。
季を取り合わせ、歌枕を用ゆる、
17文字にはいささか志述べがたし」
と述べている。
名所の句には無季の句があってよいというのである。
季語と歌枕と並列すると詠みきれないというのである。
要するに季語を入れたら地名を入れない。
地名を入れたら季語を入れないのが原則であるというのだ。
俳句の場合はどうしても季語が優先するから、
安易に地名を入れてはならぬということになる。
俳句では季語と歌枕がバッティングしすぎるのである。

翻って、朝日俳壇の長谷川櫂の選句を見ると、
明らかに芭蕉の教えを意識して守っているところが伺える。

沖縄や悲しき歌を晴晴と

という句を選句して、
コメントを付け「地名が一句にはいるとき、
季語不要の場合がある」と述べている。
俳聖の教えは今でも通用するから凄い。
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